フェザータッチと真の知覚(少し直しました)

皆様、こんばんは。

今日は風の冷たい1日でした。

いかがお過ごしでしたか?

よく、ブログにあげる施術が「フェザータッチ」です。

この施術は特殊であり、私自身が大好きな施術。

この施術を何かの症状の目的、快楽の目的に使うのは 勿体無いです。

「フェザータッチ」というと性的なイメージを持たれるかもしれませんが

私自身は全くその意図を持っていません。

そもそもこちらの施術は「意図や期待」を持ち込まない所に醍醐味があります。

もし、持っている事に気がついたのなら、施術中にその事に気がついたのなら

それは良い傾向です。気が付くことが可能性を開きます

これから記載することはこの施術の一つの可能性として見てください。

とても難しいことを書きます。

わかる方がいらっしゃると思うので記載します。

まず、どんな捉え方も、間違えではありません。

施術中に 自身の感覚の中で対象が現れます。

「凝っているな」「冷たいな」「硬いな」

「悲しいな」「苦しいな」「痒いな」「触れてほしくないな」、、、

そうしたら「これは昨日運動したからだ」「昨日喧嘩したからだ」、、、

とそのものに対しての「分析を始める」、「名前をつける」、「解釈する」「比較する」

そんな思考が始まります。

すると今起こっているものを見る代わりに、過去の経験からの推測だったり、憶測だったり

自身の都合の良いものしか取り入れなくなる。

これは、今までの経験上の概念に支配されて本当に起こっている事に気が付かない状態です

全体性から切り離された状態。

こうなった時は、「全体性から切り離されている事に気が付く事」がこのパターンから逃れる方法です。

気になる感覚、対象があったら、そのものが自身に与えている影響を感じ

見ている主体としての感覚を意識する

すると 自身イコール 見ている行為 イコール意識が認識されてくる

対象が「心地いいな」の感覚ですと、全体性に開かれやすいです。

そのままに自身を解放していく、差し出していく

すると五感は開かれ 真に起こっている事に気がつきやすくなる

仮に そこに下心を見出しているとしたら

何かのゴールのために必死になるために

限定した自己にとどまることになります

概念の世界、条件の世界から離れた時

自分の真の性質に気がつきます

これは術者に起こっている事でもあります。

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